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2015.03.24

NIKE AIR MAX 1 [ナイキ エア マックス 1]

1980年代中頃、アメリカのスポーツマーケットの主役はランニングからエアロビクスやマシントレーニングといったフィットネスアクティビティへと急速にシフトしつつあった。これに伴って、ランニングカテゴリーへの依存度が高かったナイキはビジネス面で厳しい局面を迎えていた。

 

フィットネスカテゴリーに注力して好業績を記録するライバルブランドに倣ってフィットネスシューズもリリースしたが、期待したほどの売り上げを記録することはできなかった。最終的に「ナイキというブランドは独自のモノづくりを行ってこそ!」という結論に達すると、1987年にナイキはクロストレーニングをコンセプトに「エア トレーナー」を、今までにないレベルのクッション性を与えるということを目標に「エア マックス」を発表。この二つの革新的なプロダクトのヒットをきっかけにナイキの業績は急回復する。

 

「エア マックス」はエアの容量を最大化するために着地時に変形したエアバッグをサイド方向に逃がすという機能的アプローチから開発がスタートしたというが、このディテールは同時に店頭におけるテクノロジーのアピールにも成功していた。「エア マックス」はパリのポンピドゥーセンターをモチーフにナイキの天才デザイナー、ティンカー・ハットフィールドがデザイン。ミッドソールのヒール部分から見えるナイキエアの形状とポンピドゥーセンターのガラスで覆われたチューブ状の通路は確かにそっくりである。

 

1987326日より本格展開がスタートした「エア マックス」は、ナイキの業績の急回復に大きく貢献すると同時に、スポーツシューズ業界で初めてテクノロジーの視認化に成功したシューズとして歴史にその名を刻んでいる。

 

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