/

2015.05.2

スケートボードシューズの進化③ 〜新ブランドの台頭・プロローグ〜

さて、『スケートボードシューズの進化①』から引続き、90年代後半のスケーシューの流れについて書いてみようと思います。

 

80年代後半、90年代前半に巻き起こった〈AIRWALK〉旋風に対抗する形となった、〈Etnies〉の誕生から数年間は、コート系のスケシューが人気を博してたように記憶しています。

 

「ナタス」で脚光を浴びた〈Etnies〉からは、90年辺りにスケートシーンで頭角を現し始めたマイク・キャロルも着用していた「RAP」など、その後も人気モデルがリリースされていきます。〈AIRWALK〉からはプロスケーターから映画俳優に転身し映画『ヴァニラ・スカイ』や『エネミー・オブ・アメリカ』などに出演していた、ジェイソン・リーのシグネチャーもリリース。オールドスクール路線を突き進む〈VANS〉からは、スイッチスタンスを確立した人気プロスケーター、サルマン・アガーのシグネチャーが発売されるなど、当時のスケートボード人気に伴いスケートシューズヘのニーズ、需要が拡大していきます。

 

ちなみに、マイク・キャロルは、今もなお現役のスケーターとしてメディアでよく目にしますが、現Girl Skateboarding創設者にして副社長だったり、Lakai Limited Footwearの創立者であったりもします。

mikecarroll_soty

THRASHER MAGAZINEのスケーター・オブ・ザ・イヤーに輝いた1994年。

 

ジェイソン・リーは、『her/世界でひとつの彼女』や『where the wild thing are/怪獣たちのいるところ』などを手掛けた映画監督で、ミュージックビデオディレクターのスパイク・ジョーンズが92年に手掛けたソニック・ユースの「100%」のMVに出演したのをキッカケに、映画俳優の道を志してるようです。

 

 

「Sonic Youth – 100%」

 

 

②jasonlee1

VERT IS DEAD.

④IMG_0977
1994年 のTRASNWORLD SKATEBOARDINGの広告ページ。

 

スケートボードで言う、”スイッチスタンス”っていうのは、通常慣れ親しんだ利き足と逆の足でも同様に滑る事で、簡単に例えるとどっちの足でも強いシュートやパスが出せるサッカー選手って言うと伝わるでしょうか? そのスイッチスタンスのパイオニアであるサルマン・アガーは当時〈real〉というブランドで活躍し、メインスタンスでのスケートもままならない当時の自分は、初めてスイッチスタンスでスケートする姿を観た瞬間、度肝を抜かれた記憶があります。

 

 

⑤96agah

90年代も半ばを過ぎると、次々と新しいブランドが業界に参入。それも一つや二つではなく、スケシューブランドの戦国時代とでも言いましょうか、現存するブランド、消滅してしまったブランドなど含めて、2000年頃に向けて30ブランドくらいはあったように記憶しています。日本に上陸していないブランドを含めるともっと存在していたのかもしれません。

⑤IMG_0975

1994年当時のTHRASHER MAGAZINEの通販ページには〈AIRWALK〉や〈Etnies〉のモデルが数多く並んでいます。

⑥IMG_0976

1994年のTHRASHER MAGAZINEスケートグラビアページより。

名前は割愛しますが、若かりし日のスター・スケーターの写真が並んでます。

 

 

自分は97年か98年辺りから、ファッション雑誌でスタイリング・編集者としてキャリアをスタートし、これをキッカケにスケートシューズやスケートブランドを改めて知る事になるのですが、当時の勢いには凄いものがありました。僕が関わらせて頂いた様々な雑誌でも、スケーター、スケート・プロダクトにフォーカスした特集が組まれていたのを今でも鮮明に覚えています。

 

余談になりますが、時を同じくしてストリートブランドと呼ばれるドメスティック・ブランドが時代を席巻し始めた時期でした。最近良く言われていた90年代ブームのリアルな時系列の最中でもあり、当時の言葉を借りるとエクストリーム、ミクスチャーというように、それまでの固定概念が音を立てて崩れては新しい土台が築かれていく時代だったように感じました。

 

個人的な視点から申し上げると、広義の意味でナショナル・ブランドやメジャーカンパニーへのアンチテーゼや独自の文化形成、スタイルを発信するインフルエンサーが同時多発的に生まれ、カルチャーと他のカルチャーが次々と結びつき、“プラス” の連鎖をくり返していたのが90年代だったかなぁと。今となっては良い思い出であり、身を持ってリアルに体験出来た事は貴重な経験でしたね。

 

それを知ってか知らずか、スケートシューズも2000年に向けて様々な改革や進化が盛り込まれていくのでした。仕事をキッカケに、離れていたスケートボードに再び乗る事になるとは、運命とは面白い物です。その話はまた別の機会に。

続く

 

追伸

この記事を書くにあたって、古い記憶を掘り起こし、色々とお話を聞かせてくれた友人スケーターに感謝の意を捧げます。

⑦IMG_0976ed

この記事に、いいね!