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2015.12.8

スニーカー坂 vol.10 | 行人坂

スニーカーを履いて坂道を巡ります。

 

突然ですが、前回に引き続き歴史ネタになります。

 

■江戸城の小話

 

本年は徳川家康没400年ということで江戸城の小話を、現在は皇居となっている江戸城、実は東西で作りが異なります。まず東側には丸ノ内(丸ノ内とは本丸の内という意味です)、大手門があります。城周りにはキレイに組まれた石垣や当時は立派な大名屋敷が連なっていました、そして大手門は城の一番の玄関口です。来賓などは基本的にこちらの門から入城となります。つまり東側はお客様を迎える玄関口や有力大名が住居を構える場所でした。現在の丸ノ内は、日本屈指のオフィス街であり、ビジネスにおいて世界への玄関口になっていることを考えると歴史の根太さを感じさせます。

 

さて西側はというと半蔵門や赤坂見附となります。東側との相違点として特に、近隣の町の区画が細分化されていること(戦時の際には敵を迷い込ませたり、隊列が組み難い)、深い堀は雅ではなく実用的、簡素となっています。

 

なぜこのように東西で作りが違うかというと、それは遡ること1600年関ヶ原に戻ります。家康東軍の敵である西軍の主力部隊は現在で言う、中国、四国、九州地方といった西国チームでした。関ヶ原に勝利はしたものの家康の気がかりは、存命している西国大名達でした。もし自分の政権、幕府を覆そうとするのであれば、それは西から攻めてくるだろうと予測をしたのです。そのため、江戸城の作りを東の守りは浅く、魅せるための作り、西は戦闘が起きた場合にしっかりと戦えるように見た目よりも実用的な作りとなっているのです。家康が栃木日光に東照宮を建立した理由は、西側に位置し、江戸の鬼門であり、死しても西国から江戸を守るためでした。ですが、皮肉なことに数百年後には、家康の危惧した通り、西国大名達により、江戸幕府は瓦解し、明治維新へと移り変わっていくのです。江戸城の作り一つ見てもこのような歴史的な背景が伺えます。また家康が築いた街作りのプランが未だに日常の中に残っていることは考え深いです。

 

■「行人坂」 目黒区下目黒1丁目界隈

 

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行人坂です。目黒駅から徒歩数分の場所にある坂道です。目黒川沿いに出るには近道なので通ったことがある方も多いのではないでしょうか。そもそも江戸時代には江戸中心部と目黒を繋ぐ主要道路でした。

 

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坂名の由来は、江戸の寛永の頃に出羽三山の1つである湯殿山(ゆどのさん)行者の大海法印(だいかいほういん)が大日如来(だいにちにょらい)の堂を建立、大円寺を開き坂道を作って以来、行者が多く住み、そのため行人坂と言われるようになりました。また江戸時代には坂上から富士山も拝見できたみたいです。現在はビル群の影響で富士山を見ることは出来ません。寂しいものですね。目黒区界隈でしっかりと富士山を拝見できる場所はほとんど現存されておりません。近場で言えば渋谷区猿楽町にある西郷山公園からは天気が良ければ富士山を拝見することが出来ます。

 

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坂の途中にある大円寺は江戸時代、明暦の大火の火元となった場所です。この大火の影響で江戸の民15000人を犠牲にしました。江戸三大大火と呼ばれている一つですね。

 

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急勾配な坂道。当時はその高低差により、荷物を運ぶ車が上りきれず、後ろから押して駄賃をいただく業者もいたそうな。

 

さてこの坂道にオススメな1足はこちらです。

 

〈NIKE〉 『NIKE AIR MAX 2016』  ¥21,600

 

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『AIR MAX』の2016年モデル。スポーティーなデザインながらもファッション履きとしても活用できる一足。個人的には太めのパンツと合わせてゆったりなシルエットにビシッと足元で締めるような組み合わせにしたいですね。機能性としてはアッパーには通気性がしっかりと施されています。さらに優れたエンジニアードメッシュとダイナミックフライワイヤーを搭載することでフィット性が向上しているなど、しっかりと機能性が充実していることも魅力的です。この手のデザインだと好みを選びますが、ちょっと他と差をつけたいなど変化を求めるのであればオススメですよ。

 

スニーカーを履いて坂道を巡ろう。

 

 

AIRMAX2016

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