/

2016.02.6

スニーカー坂 vol.15 | 大阪編

スニーカーを履いて大阪を巡ります。

 

今回は、大阪について寄稿したいと思います。画像少なめです。あしからず。

 

■ OSAKA

 

osaka_1

 

大阪です。天下の台所と呼ばれた江戸時代、日本からあらゆる物資が一挙に集まったそうです。その理由として日本海、太平洋、瀬戸内海、本州の街道がすべて大阪へと続いています。その利便性たるや日本でも有数の商業地帯へと進化する要素が豊富にありました。

 

osaka_2

 

その始まりは、かの豊臣秀吉が大阪を政治の中心都市へと発展させました。それまでは、小さな漁村であり、本願寺の本拠地でした。いち早くこの土地の利便性に気付いたのは、天才的な地形マニアであった秀吉だからこそです。

 

そんな秀吉が築き上げた大阪城ですが、当時は、日本に訪れていた宣教師が、東アジアで一番の城塞と言わしめたほどの巨大な建物でした。築城に関しても天才であった秀吉、彼の富と栄光がすべて凝縮されたわけです。

 

明治維新の際には、大久保利通らが、東京ではなくここ大阪に遷都を築こうと動いていました。そんなある日、投書箱に名無しで一通の手紙が、そこには遷都を東京から大阪に移行することへの批判とその理由が書かれていました。まず東京を遷都で無くすことで、江戸300年で築き上げた政治の中心をすべて大阪に移動することは莫大な費用と労力を要すること、また日本でも一番の人口を擁する江戸・東京の人々が、経済の中心が大阪になることで、難民を多く生むことになりうると説きました。それらのサポートをまだ赤子同然の明治政府に出来うるのかと。この投稿を元に、思案した結果、大阪遷都を断念、東京を遷都にすることに決定しました。さてこの投稿をした人物はというと、前島密という人物で、彼は明治時代に郵政の設立に尽力した一人でした。

 

大阪は、歴史的には退廃的な印象が強い土地柄になります。戦国時代にこの地を治めていた当時国内で最大の宗教集団、石川本願寺は織田信長との壮絶な戦により滅び、その後、秀吉はこの地に遷都を築きましたが、豊臣家は一代で滅び、その数100年後、幕末の戊辰戦争では、徳川慶喜が大阪城を放棄して江戸に戻ってしまい、徳川の世が終わるきっかけになりました。不思議なものでこの地で終焉を迎えた有力者が多くいます。おそらくですが、この大阪は遷都としては向いておらず、根底として商人の町なのでしょう。遡ること飛鳥時代にはこの地に多くの朝鮮人が住んでいたそうです。彼らは母国のノウハウを活かし、商売で潤沢な利益を得ていました。そのアイデンティティが未だに続いているとは考え難いことですが、土地に根付いた古の風土があるのは否めないですね。

 

Sports Lab by atmos Shinsaibashi

 

shinsaibashi_2

 

Sports Lab by atmosが大阪・心斎橋にオープンをします。大阪在住の方や観光で訪れた際にはぜひご来店下さい。その折には大阪の歴史に思いを馳せながら町の散策をしてみてはいかがでしょうか?視点を変えて見れば何か新しい発見があるかも。

 

Sports Lab by atmos Shinsaibashi

OPEN : 2015年2月4日(木)

住所 : 〒542-0085 大阪府大阪市中央区心斎橋筋2-7-6

営業時間 : 10:00 – 21:00

TEL&FAX : 06-6484-6475

 

スニーカーを履いて大阪を巡ろう。

 

 

shinsaibashi_2

この記事に、いいね!