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2016.05.27

スニーカー坂 vol.22 | 旅情編

スニーカーを履いて真田を巡ります。

 

■ 「長野県・上田~群馬県・沼田・みなかみ」

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旅に出てきました。真田を巡る旅です。そうです。大河ドラマでも話題になっているあれです。あえて言わせていただきますが、断じてにわかではございません。どこまで、にわかではないのかと言うと、私の祖先はおそらく真田に関係していたはずです。理由は、後ほど。

 

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長野県・上田市は、山河に囲まれた自然豊かな土地です。北には飛騨山脈を望み、街には日本最大を誇る千曲川が流れます。そんな自然を求めたら申し分のない街にあるのが上田城です。戦国時代、真田昌幸氏による築城で、真田軍の幾倍もの兵力であった徳川軍と対峙し、2度に渡り真田が勝利を収めた天下の堅牢として名高い名城です。

 

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街には北国街道が通り、この街の流通を支えました。現在でも一部ですが、街道の名残りを留めた場所がひっそりと現存しています。

 

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群馬県・沼田市は、段丘地形の丘の上にある街です。天然の地形を利用した要害です。真田昌幸氏の嫡子である真田信之氏により作られた街であり、戦国時代に端を発することから街の至る所に、防衛のための町作りが見られます。その市街の北方面に沼田城跡地があります。現在は公園となり、当時の遺跡は、掘り後のみとなります。丘の上ということもあり、見晴は良く、初夏の緑色に色付いた山々を四方で一望できる景観は、戦略的な城としても十分な価値があることが伺えます。

 

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そこからさらに北方のみなかみ市方面に車で30分ほど進み、国道17号線沿いにあるのが、真田が治めていた名胡桃城です。ここまで来るとあたりは何もないど田舎です。田舎に暮らそうを地でいけます。と、言いたい放題ですが、それもこれもこの土地は、私の代々の祖先が暮らした場所となります。

 

さて名胡桃城ですが、現存する遺跡は僅かで、土壌のみとなります。完全なる山城であり、江戸時代のような近代的な城ではなく、戦うための城であるため内容はとても簡素であり、防衛のみに特化した城となります。一見、なんの変哲もないどこにでもあるような城跡(この手のタイプの城跡は各所に多く見られます。)ですが、その歴史的逸話は逸品であり、遡ること豊臣政権時代、ほぼ国内の平定を成し遂げた豊臣秀吉でしたが、最後の反発勢力として残っていたのが小田原に居城を構える北条家でした。その北条が、秀吉に断わりもなく、名胡桃城を真田から奪取しました。秀吉としては願ったり叶ったりであり、これを口実に北条征伐へと乗り出し、その後、北条家を滅亡に追い込み、天下統一を成し遂げました。

 

長くなりましたが、このような逸話が残る城跡であり、史跡的価値としては、一級です。と、ここで冒頭の私の祖先の話しになりますが、この城跡に古めかしい石碑が建立されているのですが、その石碑建立の協力者として石碑の裏側には私の祖父の名前が刻まれています。というかこのタイミングで初めて知りました。衝撃でした。ありがとうおじいちゃん。ちょっと誇らしい気持ちです。

 

さてこの旅にオススメなスニーカーはこちらです。

REEBOK_PUMP

〈Reebok CLASSIC〉 INSTAPUMP FURY   ¥18,144

奇抜なデザインや独特な配色といったアバンギャルドなスニーカーは受け入れ難いのが現状です。たしかにベーシックなモデルは、着回しがきくし、無難に毎日のコーディネイトを楽しめます。ファッションにおいてもこのような傾向は如実であり、街行く人々は、私服でも、まるでサラリーマンのスーツのように同じような色合わせや着丈であり、目を引くようなスタイルを持った人は少ない印象を受けます。こと女性においては、スタンスミスの着用を多く見受けられ、都内で過ごしていると、一日に一度は必ず見るといった様相を呈しています。そこまでの浸透ぶりは冷静に考えれば、驚愕すべきことであり、まるで学校で支給される上履きのごとく、皆、足元の表現は一緒という、なんとももの悲しささえ感じてしまう現状です。やはり本当にスニーカーを楽しむのであれば、多様なモデルを楽しむことの方が、インディペンデントであり続けることができるのはないかと悶々と考えてしまいます。と、今回は、オススメではなく、苦言となってしまいましたが、まぁこんなのもありではないかと。

 

スニーカーを履いて真田を巡ろう。

REEBOK_PUMP

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