2016.07.28
【新連載】ぼくのスニーカーショップが出来るまで episode0
スニーカー好きなら、一度、こんな事を考えた事はないだろうか、「自分のスニーカーショップを持ちたい」。
まさに今それを実現させようとする一人の若者に出会った。彼が理想のスニーカーショップを構えるのに選んだ場所は、学生時代を過ごした池袋でもスニーカーの聖地上野でもなく…なんと、鳥取。
そんな彼のスニーカーショップがオープンするまでの奮闘記として、SNEAKER HEROESで新たに始まる「ぼくのスニーカーショップが出来るまで」。連載がはじまる前に、まずは、エピソード0として、彼の人となりを知るべく話を聞いてみた。
清太郎
1989年3月24日鳥取県出まれ。文化服装学院でファッションビジネスについて学ぶ。卒業後は原宿の〈X-LARGE〉ショップスタッフを経て、2013年からCanada TrontoにあるスニーカーショップCapsule(カプセル)で働く。
―今日は、よろしくお願いします。早速ですが、スニーカーに目覚めたのはいつ?
清太郎:おそらく、小学3年生(97年)くらいの時に先輩が履いているのを見て、真似して買った”エアマックス”がはじめてのスニーカーです。小学5年生(99年)の時に、スケートボードをはじめて〈DC〉も履くようになったんですが、その頃はまだスニーカーが好きという感覚はありませんでした。
その後、中学生になると先輩が働いていたこともあって〈シュプリーム〉を身につけるようになって、2003年に発売された”シュプリームダンク”を見た時にビビビっと(笑)。そこから本格的に目覚めましたね。
―なるほど。その後、鳥取から東京に来たのは?
清太郎:ファッションの勉強がしたかったので、専門学校に入るため上京しました。専門学校では、ファッションビジネス科で流通について勉強したりしました。卒業後は〈X-LARGE〉で働いた後、2013年からカナダトロントへワーキングホリデーに。
―そこがターニングポイントになったと。英語は苦にならなかった?
清太郎:元々英語は好きだったので、大丈夫でした。おかげでたくさんの人と出会う事ができて、結果、スニーカーショップ「Capsule(カプセル)」で働かせてもらえる事になったんです。
―そこで今の地盤ができた。じゃあ、カナダから帰ってきたらすぐにスニーカーショップをはじめなかったのはどうして?
清太郎:資金的な面もありますが、いずれオープンさせるスニーカーショップにコーヒースタンドを併設したいと思っていて、コーヒーの仕入れや煎れ方の勉強がしたかったんです。
でも結果、僕が通訳ができるので、社長が海外の買い付けに同行させくれたりと、色々な経験をさせてもらいました。
―色んな事をやってきたように見えるけど、今振り返ってみると自身のスニーカーショップオープンに向けて一貫しているよね。では、本題のオープンさせるスニーカーショップについてだけど、何故、東京じゃなくて鳥取で?
清太郎:鳥取で生まれたから。シンプルにこれだけです。鳥取が好きとか地元に貢献したいとかそんな難しい事は考えていません。
―鳥取のスニーカーカルチャーはどんな感じ?
清太郎:実際のところ、未知です。でも、スニーカー好きな人やオシャレな人は結構いんですけど、今は、ABC-MARTとかで買っている感じ。あとは、洋服屋に少しだけおいてあるものとか。
―その服屋は、どこにあるの?
清太郎:鳥取市内にもあるんですが、神戸とか大阪に車で買いに行ってますね。そんなに遠くないんですよ、車で2~3時間くらい。
―地方の人の近い遠いの感覚って東京と随分違うよね。(笑)では、最後に最終的な目標を教えてください。
清太郎:スニーカーショップとしては、それだけで生活できるくらいにはなりたいと思っています。個人的には、いつか喫茶店を開きたいんです。
―喫茶店?!スニーカーショップとは別に?東京で?
清太郎:いやいや、もちろん鳥取で。
27才、「さとり世代」とも揶揄される年代だ。
確かに無謀な大きな目標は掲げないが、それを無謀にしない安全な地盤を、時間をかけて作る事のできる世代なのかも知れない。「夢について話す時は、興奮してキラキラした目で少年のように…」というのは一昔前の話。まるで頭の中の建ったスニーカーショップジオラマを見て説明しているかのように、どこか淡々と話す彼の様子に期待せざるを得なかった。
彼の連載「ぼくのスニーカーショップが出来るまで」。スニーカーショップを開きたいと思っている人も、そうではない同世代の人も、そしてその年代を扱う人たちも…お楽しみに。