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2016.03.11

スニーカー坂 vol.17 | 博多編

スニーカーを履いて博多を巡ります。

 

今回は、博多について寄稿します。今回も画像少なめですが、最後までお付き合いください。

 

■ HAKATA

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博多です。この土地の歴史は古く、辿れば、太古まで遡ります。場所柄、朝鮮国に近く、日本の玄関口になっていたこともあり日本文化の源流を生み出した場所の一つです。島国である日本では異国という存在は、好奇心を掻き立てる存在でした、ですが、福岡・博多の人々にとって異国というのはどの地域の日本人よりも身近に感じる存在でした。幕末、今の山口県、福岡県、佐賀県、鹿児島県といった異国に近い諸国が中心となり、維新を起こしたのは必然だったのでしょう。

 

さて博多という土地が街として形成されるのは、安土桃山時代~江戸時代にかけてです。元々、大友宗麟(オオトモソウリン)という人物がこの土地を治めていましたが、戦国期に近隣の毛利家、島津家の勢力に悩まされながら、滅んでいきました。その後、豊臣時代に、この土地を治めたのが、黒田官兵衛です。最近では大河ドラマの主人公となったことで、言わずもがなな人物かと思われますが、豊臣秀吉を天下取りまで押し上げた智将です。ですがこの地を治めるきっかけになったのは皮肉なもので、その能力があまりにも高いため、天下を治めた秀吉にとっては、使いどころが難しく、なおかつ行く末を考慮した際に、天下を覆してしまう可能性を持った人物でした。そのため秀吉は、それまで側近だった人物を本州から離れたはるか福岡に転じさせました。転封後は、その智将ぶりを活かし、福岡・博多の町割り、商業などの発展に勤め、今の博多の基盤を築き上げました。

 

さらに黒田官兵衛にはこんな逸話があります。関ヶ原の戦いの折、戦場にはすでに家督を譲っていた子息の長政を出兵させ、官兵衛本人は九州の地に残りました。いざ戦が本州で始まるや否や、官兵衛は挙兵、主力部隊は子息に委ねたため、土地の農民や牢人をかき集め、鍛練しました。その後、本州であれこれと変事が起きている中、官兵衛は、即席部隊と官兵衛本人の智謀により、あっという間に九州を平定してしまいました。ですがここで官兵衛にとって不運ともいうべき事が起きます。天下分け目の大決戦のため、本州の戦は長引くと読んでいましたが、その結果は予想だにしないほど、早期に決着がつき、東軍の勝利となりました。官兵衛の思惑では、長引く戦で双方が弱まってきたところを突いて、まるで横から掠め取るような形で天下を狙っていましたが、その夢は微塵と消えました。歴史にたらればは禁物ですが、この時に官兵衛が天下を横取りしていれば、今の福岡・博多が、どのような発展の仕方をしていたかを考えると歴史の面白みがより濃くなる気がします。

 

 

Sports Lab by atmos Hakata

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Sports Lab by atmosが福岡県・博多にオープンをしました。九州エリア初出店となります。博多の歴史を辿りながら、ぜひご来店下さいませ。

 

Sports Lab by atmos Hakata
OPEN : 2016.2.27 (土)
PLACE : 〒812-0012 福岡県福岡市博多区博多駅中央街1番1号 アミュプラザ博多 5F
TEL / FAX : 092-409-3205
営業時間 : 10:00 – 21:00
定休日 : 不定休

 

スニーカーを履いて博多を巡ろう。

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